こちらのページでは 「 LaLa 平成18年10月号」(白泉社)に掲載された漫画 『 遥かなる時空の中で 特別編 舞一夜 』 物語中に たくさんでてきた 雅楽用語 について 管理人のわかる範囲で 説明をつけてみました。 普段 聞きなれない用語なので すこしでも お助けになれば 幸いですvv (間違いがありましたら、訂正しますのでご指摘お願いします。) |
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季史・初登場場面の衣装 | ||
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襲 装束 (かさね しょうぞく) | ||
舞楽の中で 「平舞 (ひらまい)」 いう種類の舞の時に つける装束です。 左舞の時は、赤や紫系統の衣装 右舞の時は、緑の衣装を着けます。 実際は「 鳥甲(とりかぶと) 」という 甲を頭に被りますが、漫画では 舞い終わった後のためか、脱いでますね。 顔がよく見えて OK〜なのですvv 白黒なのでわかりませんが、季史の家、多家は「右舞」の家なので、 多分 衣装は 緑色じゃないでしょうか。 |
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2コマ目の舞楽 | ||
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『 抜頭 (ばとう) 』 一人で舞う舞で、動きの早い「走舞(はしりまい)」 という種類です。 雅楽は「陰陽思想」に基づいて、舞も楽曲も 左(陽)と 右(陰)に 属する種類をわけることが あります。 西洋と違うので、左(陽)だから良い 右(陰)だから悪い、という優劣はありません!! 左右(陰陽)そろって、一対です。 舞も、普通はどちらか片方だけに属しますが この舞は特殊で、左舞でも 右舞でも舞うことが あり、曲は同じでも、左右で舞い方が違います。 季史が舞うときは、面(おもて)で 美形っぷりが 隠れるので、つまらないでしょうね (><) |
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「多の家の恥・・・」 | 『 多家 (おおのけ) 』 「多家」は、地下(じげ)楽家と呼ばれ、 身分こそ 高くないのですが、 たいへん古い時代からある名家です。 「初代・神武天皇の第二皇子の子孫」といわれ 真偽はともかく、かなり古い時代から物部氏など と共に天皇家に従っていた、古代豪族のようです 雅楽を職業とする 楽家(がっけ) の中でも 多家にしか伝わらない秘密の舞や神楽歌などが あり 楽家の筆頭的な存在、名門楽家で、現在も 宮内庁楽部に子孫の方がいらっしゃいます。 |
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「斉陵王を舞って死ぬ」 | 「斉陵王」は、こちらの世界にはない舞ですが モデルになったのはコレ? という舞があります 一つは、「蘭陵王(らんりょうおう)」といい 衣装や舞ぶりは「斉陵王」と同じです。 ただ、舞っても 死んだりしません、ご安心を! NHK大河ドラマ「義経」のOPに、ちょっとだけ 映ってました。 正式には、音楽だけのときは「 蘭陵王 」、 舞がつくと「 陵王 」と区別します。 もう一つは、多家の秘蔵の舞(家の舞)で 「採桑老(さいそうろう)」といい、こちらには 「舞ったら死ぬ」 という不吉な迷信があります! でも、迷信が生まれるのは、早くても源平時代 もしくは、それ以降なので、ちょっと時代的には 200年以上早いんですが・・・ (^^; この二つを足すと、ちょうど「斉陵王」にそっくり になります。 |
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舞楽 『 陵王 』 | ||
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「宮中大内楽所 多家の者・・・」 | 大内楽所 (おおうちがくそ) 「大内」とは「内裏」の別名で、「大内楽所」は 内裏にあった、雅楽を専門に演奏する組織です。 村上天皇(西暦948年頃)の時代に、 近衛府の官人を中心に作られた組織で、 所属の楽人は 近衛府の官職を頂いたそうです。 そのせいで、だんだんと発想が逆転して、 近衛府に入るためには、「雅楽」が上手いこと! (舞もあるので、さらに眉目秀麗であることも?) ・・・と、条件になってしまったとか?! 友雅・・・琵琶や笙が上手いですね (^^; 楽所は 友雅の所属・近衛府の方と繋がりが深く 鷹通が管轄する「雅楽寮」とは、全く別の組織です もっと後ですが、奈良にあった南都楽所や 大阪の天王寺楽所とあわせて、 三方楽所(さんぽうがくそ)といわれました。 |
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「当代きっての 一流の伶人だ」 | 伶人(れいじん) 雅楽を演奏する人のこと。 楽人(がくにん)と同じ意味です。 |
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「京の舞の名家だからって 地方出の楽士の音では舞えぬと」 |
宮中に属する大内楽所や 南都(奈良)にある 藤原氏の氏寺=興福寺を後ろ盾にした南都楽所 の楽人達は 他の楽人よりも上であるという意識 が強かったようです。 大内や南都楽所に属さないものへの差別は 実際にもあった様で 同じように舞を舞っても 通常は四天王寺の楽人には褒美がでないとか 南都方が、四天王寺方と「対になって」 舞を 舞うことを拒否したりとか・・・。 |
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季史の衣装 | ||
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青海波(せいがいは) | ||
季史が被っている甲(かぶと)の形からの推測ですが、 多分 「青海波(せいがいは)」 という舞楽かな?と、思います。 ( こちらの世界では、左舞になるので、右舞の多家の方が 舞う機会はないかもしれません。) 「源氏物語」の中で 光源氏と頭の中将が舞ったり、 200年ほど後に 「平家」の平惟盛が舞った話が残っていたり、とても有名な舞です。 上の画像は古い時代の装束なので、現代の装束とは少し形が違います。 何でも、衣装が豪華すぎて、 日本国内に衣装が数着しか 存在しないそうで、なかなか舞は拝めません。 昔は、光源氏や平維盛 のような 上流貴族たちは 自分達の 自前の衣装で、好きな格好で舞い、 季史達のような、身分が低い「地下楽人」たちは、 「 楽所 」で 衣装を保管して 皆で使っていたらしいです。 今も昔も 格差社会なのです・・・。 友雅と季史で、青海波を舞ったら、まさに「光源氏と頭の中将」ですね〜♪ 見てみたかったです〜(><) |
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「近頃の雅楽の流行で・・・」 | 「初代 遥か」 の時代は、 雅楽で言うと 「楽制改革」という100年もかけた大改革が完成し 日本の「雅楽が確立」 した時期になります。 海外から入ってきた音曲を、日本風にアレンジし 日本古来の音楽は、貴族的に洗練され、また 夢枕獏の「陰陽師」で有名な 源博雅 などの名人 がでて、和製の名曲も たくさん生まれました。 |
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↓以下 すみません。 後日へ続きます。 m(__)m |
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「土御門の大臣(おとど)」 | ||
11ページ目 | ||
「琵琶だ・・・」 | ||
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『 楽琵琶 (がくびわ) 』 | ||
楽人にまじって | ||
12ページ目 | ||
「南都から来ていた楽士」 | 南都 (なんと) = 今の奈良市です | |
「楽生(がくしょう)として 都に・・・」 | 楽生 (がくしょう) | |
「音取(おとどり)の時など」 | 『ねとり』の誤植かもしれません?? | |
22ページ目 | ||
「想夫恋(そうふれん)だ・・・ 」 | 『 想夫恋 (そうふれん)』 | |
25ページ目 | ||
「陰陽師殿と偶然・・・」 | ||
26ページ目 | ||
「市井の陰陽の術をかじった者が」 | ||
呪符らしきものがでて・・・ | ||
呪詛が悪化して | ||
30ページ目 | ||
季史の衣装 | ||
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『 太平楽 (たいへいらく) 』 | |
32ページ目 | ||
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笙と火鉢 | |
35ページ目 | ||
季史の兄の衣装 | ||
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『 狛鉾 (こまぼこ) 』 | |
36・37ページ目 | ||
小乱序(こらんじょ) | ||
陵王乱所(りょうおうらんじょ) | ||
囀(さえずり) | ||
沙汰調音取り (さたちょうおとどり) | ・・・さたちょう『ねとり』の誤植かと?? | |
40ページ目 | ||
「多家では何故か不幸が続いた」 |